闘病と時間軸。
告白。
主人がガン告知されてから、ずっと泣いてました。
でもその涙は、主人の気持ちを汲んだものではなかった。
自分自身が可哀相だったから。
主人がいなくなってしまうことへの不安や絶望。
家族が取り残されてしまう恐怖や寂しさ。
そんな押しつぶされそうな気持ちで、
毎日泣いていました。
主人の気持ちを気遣う余裕などなく
自分がかわいそうだったから。
壮絶な闘病記を拝読した。
ガン告知とともに、闘病記を記される方は多い。
治療記録として、その時々の感情の記録として。
本人の場合もあれば、家族の場合もある。
その描写ひとつひとつに、心を射抜かれる想いがする。
失礼千万な表現だが、その闘病記によって救われる方が
大勢いらっしゃるのだということを最初に記しておきたい。
極めて貴重な記録なのだ。
そのような辛い記録(闘病記)を
公開していただいてる方々に、
最大の敬意を払いたい。
体験したことの無い世界が突如目の前にある。
想像もしない事態がめまぐるしく展開される。
恐怖や葛藤に押しつぶされる心身の変化。
想像も及ばないことが起きる現実と対峙しなくてはならない。
受け入れられない現実。
時間という有限との駆け引き。
現実の生活のバランス。
心理的重圧と自責の念。
意思疎通できないことによるストレス。
過労と肉体的疲弊。
心神喪失(うつ的)状態。
すべてが初めてのことばかりなのだ。
だからこそ、闘病記に記していただけるということは
極めて重要な情報となり、救われるのだと。
有限の時間軸との戦いで、刻々と変化する容態。
どこかで決断を下さなくてはならない局面がある。
二つとして同じ症状というものはない。
戦いの局面から、安穏の局面への転換。
正解などないのに、難しい決断をしなくてはならない。
ガン治療ということは、医療関係者をはじめ、看護関係者や
自治体、ボランティア・NPOなどなど、実に大勢の人を必要とする。
患者本人もそうだが、家族もまた24時間体制で臨まなくてはならない
状況に直面することになる。そこには、多大な犠牲が生じる。
当事者でありながらも、他人事のように進めなくてはならない局面が
いっぱいあるのが、ガン治療の現実だと思う。
そんなにクールになれるものなのか・・・・と疑いたくなるくらいに
嫌われようが進めなくてはならない、判断しなくてはならない局面の
連続がそこにあった。押しつぶされそうな姿もさらけ出していた。
その闘病を介して発せられる、交わされる「ことば」。
何気ない一言で傷つき、不信感を増長させる。
些細な一言で、キレまくる。
味方なのか、それとも敵なのか?
回復へ向けみんなで同じ方向を向いているはずなのだが。
「ことば」には、暗黙のことば=「沈黙のことば」も含まれている。
態度であったり、感情表現がそれにあたる。
「いい加減にして!」
チームプレーで対峙しなくてはならないのが現実。
両親や兄弟を、義両親や義兄弟をも巻き込んだ混成チームで
対峙しなくてはならないのだが、そこには大きな課題が生じる。
温度差ということになる。
それぞれの関係と立場によって、同じ方向を向いていたとしても
スピード感の違いやら、感性の違い、立場による捉え方の相違、
経済的な思考も入り混じって、必ずしも一丸となってという理想
には程遠くなってしまうのが現実なんだ。
足を引っ張る邪魔な存在は・・・
どこにでも存在する。
誰が誰をどう支えるのか!?
誰がものごとの決定優先権を有しているのか?!
合議制などでは決められない現実に直面するのだ。
気が利かないとか、非協力、相談もなしで・・・・。
身内の周辺からは、必ずそのような批判めいた声が
挙がってしまうものだ。実に哀しいことだ。
どうして他人事のように振舞えられる?
切羽詰った緊張状態での衝突は、誰にとっても不幸である。
私がやらなくちゃ! 俺が一身に背負う! というように、
誰か一人の肩にすべての重みがかかってしまうケースが多い。
現実は困難なことばかりで避けられない。
気を遣うということ。
日本ならではの美徳なのだが。
こと、ガン治療ではいいところにも、悪いところにも現れてしまう。
いくら愛する妻であっても、関与したくないほどの義両親かもしれない。
最愛の夫であっても、最悪の義兄弟ばかりかもしれない。
「表と裏」が見えてしまうものだ。
相性の合う・合わないというのも現実にある。
成果に結びつかないと尚更だ。
報われない。
労いのひとことすらない。
冒頭に記した闘病記の方は、丸一年に及ぶ闘病詳細を
医療・治療的な面も、生きるという哲学面でも、家族や自身の
心情の変化など、克明に記されていた。
時間軸での葛藤と心情。
苦悩が綴られており、愚痴も、狂気に満ちた感情すらをも
あからさまにさらけ出している。 文才に長けた方だった。
覚書と称して、医師の指示や報告をも。
成すべき段取りについての健忘録のようなものまで。
症状の変化。時々の壁にぶち当たったやり場の無い怒り。
不安・恐怖・懺悔・謝罪・落胆・悲嘆・絶望・・・。
負の感情で満ちている。
容態の極限状態を凝視しなくてはならない。
意思疎通すら図れない意識混濁・せん妄状態。
日に日に弱っていく姿も目のあたりに。
人格すら破壊されていく姿さえ、直視しなくてはならない。
耐え難い現実がそこにある。
ガン治療だけではないだろう。
決して主治医任せではない。
一番大変なのは、
支える家族なのだと思い知らされた。
治療している患者さん本人よりも先に、
支えている家族が壊れていく。
心身ともに・・・ボロボロに。
無理をする。人任せに出来ないから。更に無理をする。
そういう負の連鎖が、ガン治療の闘病記で明らかに。
無論、ガン治療だけではなく、あらゆる介護支援の場合も
同じなんだろう。
壮絶な闘病記には、哀しい最期が綴られているケースが多い。
読ませていただいている身としては、
時間軸の流れで、どんなことが発生し、どう対処すべきか。
こんな想定もしない事態になるという・・・シナリオ的な参考に。
心の準備など出来るはずは無いが、
そうした闘病記を拝読することで、想定されることがわかると
対処の仕方も変わってくる。冷静になど対処できないもの。
だからこそ、治療的なことや、支える立場の心身状態のことも
極めて貴重な体験談として参考になるのだと思う。
ガンと対峙している患者さんやご家族のために
少しでも役に立てればと思いますーと括られていた。
ありがたい。
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