酵素で生きる。

自然治癒力。免疫療法。酵素栄養学。ガン治療。癌活。 Well-Ageing。Quality-of-Life。

生き方と終い方02。


「生き方」と「終い方」のつづき。



余命宣告。

しあわせな家庭に突然突きつけられた言葉。


絶望。


この絶望の中でも、以下のことはやっておきたいと考えている。

著者はまだ宣告は受けていない。準備としてね


心の整理など付くはずも無いが、実感を伴わないうちに行いたいこと。

いろんな方から教わったことでもある。






01:家族で仲間で、いっぱい一緒に話して話して、話し尽くす。

02:写真やビデオはたくさん残す。(笑顔のままでみんなと写る)

03:手紙を記す。(ビデオも検討)

  ・両親宛

  ・兄弟の家族宛

  ・義両親宛

  ・義兄弟の家族宛

  ・迷惑をかけた方々宛

  ・かけがえの無い友人宛


  ・妻宛  

   1周忌

   3周忌

   子供の卒業時と入学時

   子供の成人式

   子供の就職時

   子供の結婚時

   子供の出産時

   

 ・子供宛

   卒業入学時

   勉強で迷ったら

   くじけそうなとき

   18歳誕生日

   20歳成人のとき

   プロポーズされたとき

   結婚するとき

   出産するとき

   妻が亡くなるとき


04:5年・10年ノート(闘病記兼)着手

05:エンディングノート(遺言書兼)着手

06:もろもろの後始末(手続き)

07:会社のこと(手続き)


などなど・・・。

考えただけでも、相当な分量になる。


いろんな状況を想像しながら、記していきたいと思っている。

未来からのメッセージ。

そのリアルな瞬間瞬間を見守ってあげられないけどね。

大泣きしながら筆を走らせるんだろうなぁ。

その瞬間に想いを馳せて記す


その記す時間は、幸せな時間だ。


決して不幸なことではないはず。


誰かが言っていた。


「伝えたいこと」があれば、
「伝えたいとき」に迷わず伝えること。

って。




宗教には格別の思い入れは無い。でも、神様は信じている。

閻魔様との面接を難なく乗り越え、

きっと新しい姿で現世に舞い戻ってるだろう。



家族がヤバイときには、でこピン!で知らせる。

衝撃が強いかもしれない。

ここにいるよって・・・猛アピール!

同じ香りを漂わせてみたりする。

そういう家族だけの約束・ルールってのもいいかも。



すべてを諦めて、白旗状態ということではない。

貪欲に貪欲なまでに「生きる」ことを諦めない。

っていうよりも、執着なのかもしれない。


その意欲・執着があるからこそ、「ある局面」がわかるのだと。

だからこそ、その局面を迎えた場合には我侭を言う。


インフォームドコンセント」。

直訳すれば「十分な説明を受けた上での同意」。

医師と患者の関係の中で、医師は、治療法や薬の内容について、

患者に十分な説明を施し、患者の同意を得た上て、それを実行するという考え方。



我侭とは、患者からの「インフォームドコンセント」でもある。


過剰な延命措置はしないということ。

鈍痛で耐えられないくらいにまでなったら、眠らせてほしいということ。

しっかりとした意識があればいいけど、コントロールすら出来ない

可能性だってあるのだから。 



生き方=終い方ということだ。


尊厳。


往生際悪く、助けて・・・・と叫ぶだろう・・・。

痛い・・・痛い・・・とすがるかもしれない。

取り乱して泣きわめくかもしれない。

ありがとうーと挨拶すら出来ないかもしれない。

眠ったままなのかもしれない。


そんな局面を決断するということは、誰にとっても辛いこと。

だからこそ、「尊厳」として予め決めさせてもらい、実行してもらう。

遺恨は残すべきではない。という考えに基づいている。


本人の強い「意志」によるものなのだと


5年ノートや10年ノートも進んで記しておこうと思う。

エンディングノートだって同じ事。


切羽詰った状態であたふたしたくない。

記しておくだけで、心も穏やかになれる。


「終い方」ってのは、人それぞれだから。


うわべだけの精神論かもしれない。



かつて二度ほど・・・TIAで卒倒したことがある。

脳梗塞の前触れのようなもの。


そのせいか・・・「そのとき」ってのは

何も出来る時間が無いんだと。 

あっという間なんだということを痛感。


回復できたからよかったものの。

準備不足もいいところだったからね。

備えあれば・・・ってことだね。



話はそれるが。

老犬のガン介護(メラノーマ)をしながら考えたことがある。

いったい何所へ向かっているんだろうか?」と。


15歳という年齢を迎えようとしているのに・・・

骨までも溶かすほどガンに冒されているのに・・・

意識すら殆ど無い状態・・・。

元の元気な姿に戻ることはありえない


向かっていたのは。

」以外にない。



でもね、そんなことはわかっていても、完全否定しちゃうんだな。


尻尾も振るし・・・

骨だらけになっていても、やわらかく温かいし。

現状維持でーーーってね。


「がんばれー!」という声は掛けなかったけど。

でも、日に日に弱っていく姿を直視するとね、

痛いのを精一杯我慢して気合だけで生きてくれている。

そう。生きてくれている。って。


「もう無理に我慢しなくてもいいぞっ・・・」って

寝るときになでながら声を掛けた。

同じベッドで寄り添って寝てたんだけど。


なんだか・・・自分の我侭で無理させて生きてくれているって

感じたんだな。

開放してあげたほうがいい時期なんだろうと・・・・。


翌朝。

いまだかつて無いほどの絶不調で、全身を委ねてきた。

そのときにはじめて気が付いた。


ふぅ~。 やっとご主人様のオッケーを貰えたって。


そんな感じで・・・意識も呼吸も、鼓動も少しずつ・・・。



もう少し早めにサインを出してあげたほうがよかったのかなぁ・・・と。



今だからこそ、そういえるのかもしれない。



様々な価値観があっていいと思う。

誰にも否定などできるものではない。

十人十色の「終い方」があっていいんだと。


悔いや心配事をすべてなくすることなんて出来るはずが無い。


だからこそ、新しい姿で現世に舞い戻ってくるのだ



輪廻転生。

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