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「ぴん!2」



これは個人的主観の塊である。



前に「誠実さの伝達」というコラムを記した。



ふりかけ。


錦松梅(有田焼) 税込み¥5400-(260g)

贈答の品としてよく売れるらしい。

自宅で・・・自費でという方はあまりいないのではないかと推測する。



贅沢な一品である。

至高の品である。



これは、錦松梅自体と、有田焼というブランド同士のコラボレート。

それぞれのブランドの相乗効果を狙ったものだ。


日本という時節折々に「贈り物」をする習慣に裏づけされた商品だ。

心配りといっておくべきか。


著者がお弁当で頂く「それ!」とは全く違ったものだ。


丸美屋派の著者としては、こんな斜めからの見方をしてみる。


内容量を倍にして500g入りとして、簡素なガラスビンではどうなのか?

有田焼の小鉢を食卓で使いまわすことがなければ・・・。

有田焼のコスト分を内容量増加にまわすことができるはずだと・・・。

包装も然り。贈答用の水引などいらないのでは?と。


全体の「価値」をありがたいと感じるのか?

それとも、実を取り「内容量」重視でありがたいと感じるか?


正解はこうだ。


贈答品の場合、受け取る方の価値観を見る。


有田焼?なにそれ?いまどき小皿入りか?というような方にとってみると、

存じ上げていない「有田焼」という価値は全く無い。

まして、高級ふりかけという、概念でありがたがる価値でもなさそうだ。

こういう「価値観」の方には、このような贈答品ではその価値が活かされない。

*但し、価値観の相違であって、人格否定するものではない!


実際、私が頂いた場合にはどうか?

ブランドのコラボレートを美味しく頂きます。

しかしながら、焼き物の価値判断力(目利き力)がないものだから、

頂いた小鉢の造詣や美しさといった評価は感性が無いのでスルー。

ただただ・・・、「有田焼」(高いんだろうな!有名だしね!)は認知する。

そして、たらふく1kg!!なんてよりも、260gという少量さ加減がまた

高いんだろうなぁ~(高級?)という圧力を感じさせてくれる。


古来からの習慣・贈答品という観点から、ちょっとした贅沢品演出は

不可欠であると思う。


これこそが、ブランドの持つ世界観である。

それぞれが匠の技で精魂込めて創られた品であるーということだ。

送り主の感性というものを、贈答品に添えているのだ。


贈答の品には、品物だけでは推し量れない送り主の感性という

心配りが隠れているものだ。



これは、レストランのメニュー写真ではない。


このテーブルの主役は、ボトルの「お茶」である。


ロイヤルブルーティという、日本茶の会社である。


最上級のものは ¥300,000-(720ml=ワインボトル)


なんともブランド設計がすばらしい! 全てが意表をついているのだ。


「日本茶をいただく」という何の変哲も無い行いを、見事に演出している。

日本茶といえば・・・・「茶道」?って連想することろを、意表をついてきた。


大量生産は出来ない。品質には一切の妥協はしない。

手作り処方で、原料すら極めて少ない・・・・。

然るべくして、価格は高価格帯となる。


自販機でサントリーの伊衛門が150円だ。

美味しくいただいている。

RBTのお茶は、手頃な価格でさえ¥3000~という。


超高級日本茶。 


社長の発想が素晴らしい。

誰に飲んでいただくか? → それなりの方に限定すべし

どんな機会で飲んでいただくか? → 日本の「おもてなし」で。


JALのファーストクラスで、

外務省などの国際会議の場で、

国賓クラスの晩餐会で・・・・。

料亭や高級レストランで。


限られた生産能力。

類を見ないほど最高の品質。

茶葉農家との一体感。(地域活性)



前述の「錦松梅」も「日本茶・RBT」にしても、


モノの価値だけで考えていない。


それを愉しむ時間であり、オケージョンであり、雰囲気なのだ。


そういう全体演出という価値に対して、対価をいただいているのである。



法人による企業活動なのだから、利益を追求するのは当然である。

しかしながら、

利益追求の前に、「職人」「匠」的な品質を創り上げるという意思が

なければ、このように受け入れられる土壌はなかったかもしれない。


愚直なまでに「誠実にいいものを提供したい」という思いだと。

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